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『3つの癖と恐れが解けると浮かびあがる世界』

思考の癖
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呼吸(感情)の癖
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身体の癖

思考の癖は、呼吸の癖によって
呼吸の癖は、身体の癖によって生じています。

身体の不必要な癖が落ちると呼吸が深くなり、呼吸が深くなれば思考の癖が自然に解けてきます。

さて生命進化のプロセスにおいて、身体のルーツを突き詰めていくと背骨に辿り着きます。

タツノオトシゴのように背骨(椎骨)の一本一本が活き活きと蘇り、呼吸と共に波のような精妙な揺らぎが生じてくると驚く程、深い呼吸ができるようになります。

その時に呼吸と思考の癖はなくなっています。
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思考の癖

呼吸の癖

身体の癖

思考からのアプローチで呼吸や身体に影響を与える事ももちろん可能です。

何かのきっかけで自分が頑なに持っていた固定概念を手放すと、ふわぁーーっと呼吸が深くなり、身体の自動調整機能にスイッチが入って、身体も整ってきます。

固定概念が外れたことで、長年歩けなかった人が歩けるようになったケースを何度か見た事があります。

本来は思考から呼吸や身体に作用させるアプローチも可能なのですが、現代人の場合は喉や鳩尾が固まっているため、思考が呼吸や身体に作用しずらくなっていて、頭での理解で終わってしまいがちです。

身体が緊張状態であったり、浅い呼吸しかできない身体で考え方を変えても、それが呼吸に反映されて、腑(ハラ)に落ちていかなければ、やがて元に戻ってしまいます。

腑に落ちる時は頭ではなく、腹で理解するという感覚が訪れます。

自然に周囲に癒しが起こる時というのは、その中心にいる人のリラックスした身体から放たれる気や、ゆったりと深い呼吸のリズムやシンプルな意識の状態に相手が共振して変化が起きるのです。

この仕組みを頭で理解して、それを他人にテクニックで施す事はできないし、周囲に変化を起こしてしまう人というのは、そもそも他人を変えようとは思っていないのです。

相手を癒そうとか変えようというのは、余計なお節介かもしれません。

お節介な気持ちがない人のことを、僕はスペースのある人と呼んでいます。

目の前の人を変えようとしている人には、このスペースが失われているので相手はどんどん固まってしまいます。

癒そうとしている人自身が、一番癒されるべき人かもしれないですね。

目の前の人が自由に花開いていくスペースを自然に創れる人は、自分自身の幸せが中心軸にあり、それが溢れ出て自然に周りに伝わっています。

今そうでなかったとしても、目の前の人の心の中にある、あらゆる可能性を持っている蓮の花が自然に花開いていくのをただ見守るように見つめるのです。

言葉にするのは簡単ですが、様々なクラスでやっていることの最も深遠な部分です。
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恐れにも3つのタイプがあります。
 
【恐れの特徴と由来】
①正しくなければいけない 義務教育や社会で形成された思考
②嫌われたくない 幼少期に満たされなかった感情     
③死にたくない 身体という動物としての本能
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①義務教育や社会生活で形成された正しくなければいけないという思考体系は日本人の大多数が採用していて、この恐れと制限のある思考体系を前提にしてしかビジョンを思い描くことができなくなっています。
正しくなければいけないという恐れが解けると、透明になっていた制限や価値観、そして無意識に行ってしまった誰かのコピーから離れて、本当に自由なところから未来のビジョンを思い描く事ができるようになります。
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②幼少期に満たされなかった感情が嫌われたくないという恐れを元にみんなに好かれなければいけないというアイデンティティを形成して、その鎧を纏ったまま大人になります。自分の性格や外見のことで悩んでいる人が、内面や外見を表面上変えても悩みが解消しないケースが多々ありますが、結局のところはそのままの内面や外見で愛されたいという部分が満たされていないのです。
※アイデンティティとは自己と同一化している要素の事である。ウィキペディア(Wikipedia)より

嫌われたくないという恐れが解けると
「嫌われても大丈夫、なぜなら自分が自分のことを愛しているから」と当たり前に思えます。(自ら進んで嫌われようと捻くれるという意味ではない)

そしてあらゆる行動の動機が人から好かれるためや評価されるためではなく、純粋に内なる魂が創造したり経験したいことをするために行動するようになります。この時点で青写真を生きるという感覚が目覚めます。
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③動物としての本能から来ている死にたくないという恐れは基本的に手放す必要はありませんが、臨死体験や特殊な修行を通してこの恐れが解けると、自分という存在への認識が大きく変わることとなります。嫌われたくないという恐れや正しくなければいけないという恐れがいかに小さなものであり、それらの恐れが自分自身の奥にまで影響を与えることは出来ないのだと悟ります。

変化・変容とは、握りしめていた様々な恐れが柔らかく解けて手から離れていって、自分という存在が自然界と同期して、自然界と同じような変化の連続のプロセスの道に入っていくことだと思います。

自分という存在も森羅万象の一部であるのなら、変化・変容以外の道はないのです。